【日々ブログ】9年経つのですね
こんにちは。
2011/3/11から9年経つのですね。
ブログを始めたので少し振り返ってみようかと思います。
9年前のあの日、就職して2年目の私は三交代勤務で準夜勤(夕方から夜中)の担当だったため出勤時間ギリギリまで寝ておこうと思って昼食後に炬燵に入りました。
点けたままのテレビの音声がフワフワと聴こえるなか、微睡んでいました。
暫くして、ふっと目を開けた先のテレビの中、寒空の海辺の防潮堤を、丁度あの大きな波が乗り越えようとしていました。
一瞬それが何なのか、寝起きの頭では夢と現実の区別すらつきませんでした。
何だこれ。
というのが率直に感じたものでした。
中継しているテレビのレポーターが興奮しながら繰り返す言葉の中に、「14:46頃発生した地震…津波が…」と聴こえてきて、やっと地震による津波だと理解しました。
濁流が、船を、車を、民家を、木々を圧倒的な力で飲み込んでいく映像が延々とテレビから流れていました。
それでも何が何やら分からずに出勤時間になり家を出ました。
それほど、日常からかけなれた映像だったのです。
私の勤務先の病院にはDMATのチームがあり、出勤するとすでに待機していると同僚から聞きました。
その後、いつの間にか出動の命があり、被災地へ。1年目からお世話になった先輩や医師がメンバーでした。
その頃まだ災害医療などについては学んでいませんでした。興味もなかったのです。
日に日に被害の甚大さが分かり、どんどん死者数が増えていきました。
そして、活動を終えたDMATが帰ってきたのですが、先輩はその後、職場にかえってくることはありませんでした。
職場に来ると過呼吸のようになったそうです。
後々、先輩が被災地で体験したことについて知ることはできました。誰も責められないことだけど、悲しくて悲しくて。
誰かの為にと活動しに行った。その為に勉強をして、訓練を重ね…それが心を病んで仕事を続けられなくなって。
被災地は地獄のようだったでしょう。被災された方々はその中で必死で過ごしていたことも理解は出来るのです。
それでも人命救助、救護を行った沢山の人達がPTSDとなっていることはあまり報道では見たことはありません。(救援者のPTSDやメンタルヘルスについては調査やケアがなされています。)
でも、少しだけでも知っていて欲しいと思います。
直接被災した人だけではなく、震災に関わった人の中にも人生が変わってしまった人が沢山いるのです。
私もまだまだ先輩と一緒にお仕事がしたかったです。
災害は被災地だけではなくそれ以外の人々へも強いストレスを与えます。
起こらなければいいのにと思ってもこの国は地震大国であり、自然災害は人間の力ではどうしようも出来ないような猛威を振るうものです。そこに生きる以上、上手く付き合うほかありません。
亡くなられた全ての方にご冥福をお祈りいたします。